スポンサーサイト

-- -- --
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

異邦人

2009 05 04
小説(海外)のご紹介第一弾。

異邦人 カミュ 著  窪田啓作 訳


あらすじ(wikipediaより)

アルジェリアのアルジェに暮らす、主人公ムルソーのもとに、彼の母の死を知らせる電報が養老院から届く。母の葬式に参加したムルソーは涙を流すどころか、特に感情を示さなかった。彼は葬式に参加した後の休みの期間中、遊びに出かけたまたま出会った旧知の女性と情事にふけるなど、普段と変わらない生活を送る。ある晩、友人レエモンのトラブルに巻き込まれ、アラブ人を射殺してしまう。ムルソーは逮捕され、裁判にかけられることになった。裁判では人間味のかけらもない冷酷な人間であると証言される。彼の母親が死んでからの普段と変わらない行動は無関心・無感情と人々から取られたのだ。彼は裁判自体にも関心を示さず、裁判の最後で殺人の動機を問われ「太陽が眩しかったから」と答えた。判決では死刑を宣告され、ムルソーはそれすら関心を示さず、上訴もしなかったため、死刑が確定した。留置場に司祭が訪れ、ムルソーに悔い改めるように諭すが、彼は司祭を追い出す。留置場の中でムルソーは、死刑の瞬間に人々から罵声を浴びせられることを人生最後の希望にする。



第一部はゆったりした流れから、ある日殺人を犯かす。その後の第二部の激流のように変化する描写のスピード感が印象的。

殺人を犯した理由を「太陽のせい」といったムルソー。
不条理の認識を極度に追求したカミュの代表作。
などと宣伝されるが実際読んでみると、殺人の理由が太陽のせいというのに納得できてしまう。
それは本書のなかでたびたび太陽の鮮烈な描写があるかなのか。
あるいは、現在日本でおこる理由なき犯罪、漠然とした犯行理由による犯罪になれてしまったのか。

異邦人を読んで納得・理解ができてしまう、この不条理な現実。


スポンサーサイト

高学歴ワーキングプア

2009 05 04
文系で修士課程、文理にかかわらず博士課程に行く気の方は必読。
教授になろうとしてる人は、これを読んで、覚悟を決めてから進学するとこと勧めます。

高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書) 水月昭道 著

人間環境学博士の著者が現状の大学に対して不平不満をぶつけている。
文系で博士課程行く人は覚悟決めた人であり、その後の人生は自己責任だろと考えていたが、本書を読んで100%自己責任とは言い切れないのかなと思いなおした。
ともかく、国の大学院の重点化政策が迷走していることは間違いない。
国公立の大学院博士課程を卒業して、その能力を生かせないのは税金の無駄使いだし、社会的にも優秀な人材の損失だ。
日本の雇用の現状、新卒一括採用が主であり、既卒や博士課程卒は採用されにく現状にも原因がある。

話はそれるが、私は日本の新卒一括採用という雇用慣習は素晴らしいものだと考えている。
新卒はまだまだ実践業務では使えない人材だが、将来性を見込んで教育費をかけ、育て上げる。
一種の社会貢献といえるのではないか?
日本では転職市場がまだまだ未発達なので、一生同じ企業で働き続ける風土がある。
それゆえ、新卒一括採用が成り立つ面もあるが、新卒が早期に離職したら企業は損失を被る。
その一方、新卒で採用さなかった、レールから外れてしまった人たちへは厳しい雇用慣習ではある。

閑話休題

現在は博士卒に対してイメージで使いにくいと考えている企業が多いが、博士卒に仕事をできる実力があれば、自然と雇用環境は改善されていくだろう。
楽観主義的かもしれないが、雇用慣習もグローバル化の中で変化している。現状に比べたら、博士卒によい方向になる可能性は高い。
Googleのように積極的に博士卒を雇用する企業が出てきてもおかしくない。

ただ、今現在ポスドクの方は国策の犠牲者か、自己責任かどうかは分からないが、教授以外のさまざまな道を模索する必要があるだろう。


グーグル・アマゾン化する社会

2009 05 04
またまた、情報学部生必読本。
どちらかというと、ネットの闇の部分を指摘している。

グーグル・アマゾン化する社会 (光文社新書) 森健 著

先に紹介した『ウェブ進化論』『グーグル Google』と被る内容が多いが、それらとは異なる視点が多々あるので読む価値がある。

「多様化がもたらす一極集中現象」という概念がおもしろい。
文だけ見れば矛盾しているようだが、Webの世界に限らずリアルの世界でも実際に起こっていることである。
検索エンジンはGoogle、ショッピングサイトはamazon・楽天、OSはMicrosoft、映画の大ヒット、CDのミリオンセラー、書籍のベストセラー。
売れているものがメディアに注目され、さらに売れるというスパイラル現象。
マーケティング用語ではティッピングポイント、経済学では収穫逓増といわれる現象により、一極集中化にむかう。
Webは誰もが情報発信でき、必要な情報を収集できるという点でフラットのように見える。
だが本当にそうなのか?
本書を読んで、その答えを見つけてほしい。

この概念にくわえ、本書の第7章ではネット上のガバナンスにつて述べられている。
ネット社会では多様な意見あり、民主主義的な合意形成が得られそうであるが、「集団分極化」「沈黙の螺旋」といった現象により、むしろ意見が偏ってしまう危険性がある。
集団分極化とは、集団討議の結果、討議前の個人の意見よりも先鋭化したかたちで集団決定がなされることをさす。
沈黙の螺旋とは、自分の意見が優勢と認知した人は声高に発言し、劣勢と認知した人は孤立を恐れて沈黙する。その結果、優勢意見はより勢力を増し、劣勢意見はますます少数意見になる。
「群衆の叡智」と対立するこの現象を理解しておかねば、Webへの視点が不十分である。
群衆の叡智には、意見の多様性・独立性・分散性・集約性が条件となることを理解しなければならない。
Webでガバナンスを行う際は、これらの概念をそれぞれ理解しておく必要性がある。


グーグル Google

2009 05 03
グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する (文春新書) 佐々木俊尚 著


情報学部生必読の本。
これ一冊でGoogleやそれを取り巻くWeb世界への理解が一気に深まります。


日本の検索エンジンのトップはYahoo!で、2位はGoogle。
Yahoo!は一般ユーザがよく使い、Googleは専門職・アカデミックな人が使う傾向があるとか、どこかの統計を見たことがある。
Yahoo!はポータルサイトとして、ホームユースをターゲットにしてユーザを取り込んでいる。
Googleは技術志向で検索結果の有効性が高いので、専門職・アカデミックな人が好むのだろう。
しかし、世界規模で見ればGoogleのトップシェアは揺るぎない。
これに対し各国は国産検索エンジンを開発する動きがある。。
これは後述するGoogleの支配から逃れるためだ。


Googleの危険性を語るときにまず言われるのは「Google八分」と呼ばれる現象。
本書の中でも触れられているが、簡単に言えば、特定のサイトをGoogleの検索結果に意図的に表示させない様にするとこ。
Googleに表示されないのは、ネットに存在しないのと同意義とも言える。
特に中国では、国からの要請にGoogleが屈し、国益に反するサイトが検索に引っかからないようになっている。
意図的な情報操作、意識操作が行われている。

また、わざわざGoogleが八分を行わなくても、通常の検索を行うだけで我々の知識、考え方はGoogleの意向に沿ったものになっていしまっている。
我々が検索結果を見るとき、平均20,30件の結果を見る。
これらの中から、自分の求めていた情報も見つける。
しかし、この裏には何十万件、何百万件のウェブが存在している。しかし、見られることはない。
Googleの検索結果の上位にくるWebが世界のすべてであり、真実なのである。
これと同じことは他の検索エンジンにもwikipediaにも言えることである。

Googleは神なのか?
私の答えはYesである。
現在地球上でもっとも全知全能、そして我々を支配している存在である。



「オープンソース的協力が成立する要件」で思ったこと

2009 05 03
梅田望夫氏のブログで、オープンソース的協力が成立する要件についての実験と考察につてい書かれていた。

 ・プロジェクトの中核に、尋常でない情熱が宿っていること。
 ・そのプロジェクト自身に大きな意義がありそうに思えること。
 ・プロジェクト・リーダーの私的な利益に供しないこと。
 ・オープンソース的協力がなければプロジェクト自体が成立しないだろうこと。
 ・プロジェクトに参加するために必要なスキルがわかりやすいこと。



素朴に思うのは、「プロジェクト参加を希望する、意欲ある人がいること」は入れちゃダメ?
Web上で梅田氏のいう5項目が適合するプロジェクトなら自然と参加者が集まるとは思うが、すべての分野で同じことが言えるだろうか。

詳しくないので、妄想と偏見が入った意見だが、本家本元のオープンソースでは現在、初心者プログラマーではプロジェクトに参加できないと思う。
それは、欲しいと思えるソフトウェアがほとんどフリーでそろってしまい、オープンソースウェアも機能をどんどん加えていくため、ソースが大容量・複雑化しているのではないだろうか。
初期のプロジェクトの頃ならまだ参加できる技術を持ったプログラマーが、現在のプロジェクトに途中参加することができない。
これにより参加できなかったプログラマーは成長する機会を失い、他のプロジェクトにも参加できなくなる。
といったことが起こっているのではないのだろうか?

動画投稿サイトの動画もどんどん職人化・セミプロ化が進み、閲覧される動画も、作る人も固定化していく。

不特定多数の参加の機会は依然として存在はしているが、事実上参加することができなくなる状態が出来上がってしまうのではないのか?
最初から参加する意思のない受身・無気力層は問題ないが、やる気がある+すこしの技術力を持っている層が参加し成長する機会が失われてしまうのが問題である。

これを乗り越えるには、何が必要だろうか・・・?
答えが見つかるまで、今後も考えていきたい。



そして、続いてひとつ。
受身・無気力層をなんとかクリエイティブ層に持ち上げるにはなにか方法はないだろうか?と考える。
現在のWebを使う層の多くがこの受身・無気力層だ。
この層をクリエイティブな活動ができるようにすると、Webの世界が変わる。
行動への意欲、好奇心を持たせるにはどうすればいいだろうか?

一つの答えはお金だろう。
お金はメタ欲望であり、人間欲望に忠実・・・と言いたいが受身・無気力層にとって本当の解決になるのか?

お金でも動かない受身・無気力層にクリエイティブなことをさせるにはどうしたら良いのだろう?
コンテンツを享受し続け、時間を浪費する。それで幸せなら、それでも問題ないとも言える。
しかし出来れば、受身・無気力層もウェブ世界の構築に関わり、ウェブ世界がもっとよりよいものしていきたいと考える。

梅田氏はウェブ進化論で100人のうち1人はブログがおもしろいと書いた。
わたしは残りの99人のブログもなれ合い以上の建設的な活動になるようなシステムづくりをしたい。
最終的には人の幸せがどこにあるか。という議論になってしまうが、人の幸福のためのWebであって欲しい。
 | HOME | Next »
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。